大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和61年(ネ)3330号 判決 1987年12月24日

昭和六一年〔ネ〕第三三三〇号事件控訴人、同三二六五号事件被控訴人

(第一審原告)

佐藤誠

昭和六一年〔ネ〕第三三三〇号事件控訴人、同第三二六五号事件被控訴人

(第一審原告)

佐藤栄子

右両名訴訟代理人弁護士

荒井新二

川名照美

昭和六一年〔ネ〕第三三三〇号事件被控訴人、同第三二六五号事件控訴人

(第一審被告)

右代表者法務大臣

林田悠紀夫

右訴訟代理人弁護士

竹田穣

右指定代理人

遠山廣直

他一四名

主文

1  原判決中第一審被告敗訴部分を取り消す。

2  第一審原告らの請求を棄却する。

3  第一審原告らの控訴を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審とも第一審原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  第一審原告ら

(第三三三〇号事件につき)

1 原判決中第一審原告ら敗訴部分を取り消す。

2 第一審被告は第一審原告らに対し、各八五七万六七一八円及びこれに対する昭和五八年七月二九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え(当審において請求減縮。)。

3 訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

4 仮執行宣言

(第三二六五号事件)

本件控訴を棄却する。

二  第一審被告

(第三三三〇号事件)

1 本件控訴を棄却する。

2 控訴費用は第一審原告らの負担とする。

(第三二五六号事件)

主文同旨

第二  当事者の主張は、第一審原告らにおいて請求原因の一部を次のとおり改めたほか原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

原判決八枚目裏五行目から一〇枚目表一行目まで「3損害」及び「4まとめ」の項を次のとおり改める。

「3 損害

(一)  知秋の損害

(1)  逸失利益一七四〇万六八七二円

知秋は死亡当時四歳一か月の健康な男子で、その就労可能期間は一八歳から六七歳までの四九年間であつたから、知秋の年間収入は昭和五七年度賃金センサスの産業計男子労働者の平均年間給与額によれば三七九万四〇〇〇円となるので、その生活費を五割としてこれより控除した金額一八九万七〇〇〇円を基礎にライプニッツ式計算法により年五分の中間利息を控除して前期就労可能期間中の収入の現価を計算すると、その額は次のとおり一七四〇万六八七二円となる。

1,897,000×(19.075−9.899)=17,406,872

(2)  知秋の慰謝料 一三〇〇万円

(3)  第一審原告らは知秋の父母として右逸失利益と慰謝料につき各二分の一宛相続した。

(二)  第一審原告らの損害

第一審原告らは知秋の葬儀をし、その費用として五〇万円(各二五万円)の支出をした。

(三)  以上を合計すると第一審原告らの損害は各一五四五万三四三六円となるが第一審原告ら側にも過失があるのでその割合を四割とみて過失相殺すれば、第一審原告らの損害は各九二七万二〇六一円となる。

(四)  弁護士費用 各一〇〇万円

4 まとめ

よつて、第一審原告らは第一審被告に対し、国家賠償法二条一項に基づき各一〇二七万二〇六一円及びこれに対する本件事故発生日以後の日である昭和五八年七月二九日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。」

第三  証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一請求原因第1項(一)(本件事故の発生)及び(二)(当事者)の事実は事故発生の時刻を除いて当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、知秋は本件事故当日の午後一時頃、姉美湯樹とその遊び友達(いずれも当時五歳)と連れ立つて自宅から約二〇〇メートル離れた鶴見川堤防に赴き、平場で遊んでいるうち、誤つて鶴見川に転落したことが認められる(ただし、知秋が転落した地点及び転落の態様を具体的に確定する証拠はない。)。

二そこで、第一審被告の責任について判断する。

1  <証拠>によれば、次のような事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(一)  鶴見川は、その源を町田市地内に発し、多摩丘陵を東に流れて恩田川、早渕川等を合し、流れの向きを南東に転じ、横浜市鶴見区の工業地帯を湾曲して東京湾に注ぐ流路延長42.5キロメートルの一級河川である(鶴見川の流路延長については当事者間に争いがない。)。

(二)  鶴見川は以前から流下能力の低い河川であつたが、昭和三〇年代の後半からその流域開発が急速に進んで、流域の保水能力が著しく低下する一方、生活用水路の整備に伴い降雨の流出が早まり水害の危険性が増大した。そこで、第一審被告(建設大臣)は増水時における溢水、破堤を防止すべく、昭和四三年二月鶴見川水系工事実施基本計画を樹て(同四九年三月改定)河川改修事業に取り組んできたが、この間第一審被告は同五一年九月の出水を契機として早急に鶴見川の治水対策を講ずることとなり、その頃緊急改修計画を策定し、これに基づき全川にわたつて堤防の改築、護岸工事及び河道の浚渫工事を実施した。

ところで、鶴見川流域には人家や工場が密集して高度な土地利用がなされていたため、右改修計画で定められた計画高水流量(本件事故現場付近の基準地点で毎秒九五〇立方メートル)に対応する河積の確保には、両岸の堤防の間隔を拡大する方法は取りえず、既存の堤防の嵩上げ、補強、河床の切下げ、高水敷の掘削等の工事方法によらざるを得なかつた。

そして、同五二年一二月二五日から同五三年三月三〇日までの工期で護岸工事が行われ、本件事故現場付近の堤防は従来の土堤から現在の堤防となり、次いで同五六年七月二一日から同五七年五月三一日までの間に浚渫工事が行われ両岸の堤防の間はすべて低水路(通常流水のあるところ)となつた。

(三)  右工事の結果、本件事故現場付近の堤防は原判決別紙(二)図面のとおりの構造となつた。すなわち、本件堤防は幅五ートルの天端と幅3.425メートルの平場、天端から平場に至るコンクリートブロック張りの表法面(二割勾配で水平距離6.8メートル)及び天端から民有地に至る裏法面とからなるが、平場下水路側には垂直に長さ八メートルの鋼矢板が打ち込まれていた(本件堤防の構造については当事者間に争いがない。)。

(四)  知秋が転落した平場は天端から川表3.4メートル下に設けられ、その先端まで平坦なコンクリート造りの低水護岸で、その先端直下は水面で(この状況は天端上から一見して明らかである。)、平場から水面まではおよそ二メートル、事故現場の水深は二メートル前後(もつとも、潮の干満により差がある。)であり、水面は汚濁していた。なお、右のとおり低水護岸水路側は鋼矢板の直立した壁となつていたが、付近には水路に転落した場合につかまり、あるいは平場まではい上がることのできる設備はなかつた。

(五)  本件現場流域周辺は住宅の密集する地域となつており、堤防近くには集合住宅や市民農園があつたが、第一審原告ら宅を中心にしてさほど遠くない場所に幾つかの児童向けの公園があるほか、その周辺にはまだ空地も残つていて子供達の遊び場には事欠かない地域であつた(現場流域周辺の状況については当事者間に争いがない。)。

(六)  本件事故現場から約八六〇メートルの上流には鷹野大橋、約二三〇メートルの下流には末吉橋があり、右堤防は両橋のたもとでいずれも公道と交差するが右堤防天端は一般車両の進入禁止区域となつていた(この事実は当事者間に争いない。)。したがつて、右天端には車両の往来はないものの、右公道や川裏側法面の石段を通つて容易に天端に出ることが可能であつたから、付近の住民は天端を公道に至る近道あるいは散歩、ジョギングなどの格好の場所として利用していた。また天端から川表法面の石段を通れば容易に平場に降りることもできたから、魚釣りや散歩のため右石段から平場に降りる人達も稀ではなかつた。

しかしながら、右のとおり本件堤防が付近の住民によつて利用されていたとはいえ、その利用目的はきわめて限られており、天端や平場が日常人々の多数集合する場所となつたり、子供達の格好の遊び場となつていたわけではなかつた。

(七)  第一審被告は鶴見川堤防の右利用状況に鑑み、危険防止策として、天端には「あぶない、かわにはいつてはいけません」と記載し、幼児が川で溺れている様子を描いた立看板(本件事故現場付近では、概ね原判決別紙(一)図面の位置二か所)と平場の後記鉄パイプにおよそ二五メートル置きの間隔で「あぶないから、はいつてはいけません」と記載し、人が掌を差し出し接近を制止する絵のある立看板(ただし、右立看板の一部は、本件事故前の増水で流失し、本件事故現場付近では概ね同別紙(一)図面の位置一か所に残存。)をそれぞれ設置したほか、平場の水路側先端にこれと接するようにして五メートル程の間隔で鉄パイプを川底に突き刺し、右鉄パイプを一本置きに金具で平場に固定したうえ、平場から一メートル程の高さのある右鉄パイプに二〇センチメートル及び七〇センチメートルの高さの位置に上下二本の安全ロープ(黄・黒の二色)を張つた安全柵を設けた(右堤防の天端、平場に立看板が置かれ、かつ平場の水路側先端に鉄パイプの柵が設置されていたことについては当事者間に争いがない。)。なお、本件事故後右鉄パイプは全部金具で平場に固定された。

(八)  平場(小段)は河川管理施設等構造令二三条に基づき堤防の構造上の安定を図りあわせて洪水による洗掘の防止の観点から堤防法面中腹に設置され、洪水時には河道の一部となつて、当然に水面下に没するものであつた。

このため、平場に堅固な施設(防護柵を含めて)を設置することは治水上好ましいことではなく、もし平場に堅固な防護柵を設置した場合には、洪水時に上流からの流木等が柵にかかつて乱流を生じて河岸の洗掘を招き、ひいては破堤の原因となるし、また柵が流失して下流の橋脚等にあたりこれを破損することにもなりかねない(河川敷地占有許可準則が、その五条で河川敷地内に設置することのできる柵類を、地上一メートル以下の高さで、竹木等の軽易な材料を用いたものに限定しているのは、右の事情によるものと解されるし、右の準則は、河川敷の占用を許可された者に適用されるだけでなく、第一審被告自ら河川管理上拠るべき規準ともなつている。)。なお、河川敷内には必要最小限の施設が、治水上支障とならない形状で設置されるのが通例である。

(九)  本件転落事故以前に鶴見川に転落する事故はなかつたし、特に付近住民から第一審被告(現場の建設事務所)に対し、転落の危険を訴え、事故防止のための設備を求める陳情や要望がなかつた。

2 前認定の事実関係に基づいて、本件堤防の設置または管理上の瑕疵の有無について考えてみると、本件堤防は鶴見川改修工事によつて構築されたものであるが、流域周辺の環境に照らし、所定の流下能力を確保しつつ、治水の目的を達成するためには有効かつ適切な構造ということができる。ところで、知秋が転落した平場は水路先端まで平坦であつて、そのまま水面へとつながつており、ここから転落した場合、水深と護岸の状況に照らせば生命の危険があるし、右堤防の周辺は住宅の密集する地域で、付近の住民の中には表法面の石段から平場に降りる人達も稀ではなかつたから、誤つて平場から水中に転落する事態発生のおそれも絶無ではない。したがつて、これを防止するためには平場の先端に堅固な防護柵を設置するにこしたことはない。

しかしながら、元来平場は堤防の構造上の安定と洗掘の防止を目的として設置されたもので、それが付近住民によつて利用されていたとはいえ、その利用目的は限られていたし、まして平場が日頃住民の多数集合する場所となつていたり、子供達の格好の遊び場所となつていたわけでもない。また河川敷には治水上の制約から堅固な施設が最小限度にとどめられていることを考慮すると、第一審被告が本件堤防の天端、平場に子供でも容易に理解することのできる警告の看板を立て、そのうえ平場の先端に前記の安全柵を設けたことで、危険防止措置としては十分であつたといわなければならない。

本件は知秋ら幼児が親達の付き添いなしに平場に立ち入つた事案であり、この事実からすれば、付近に住む幼児や児童達(子供達という。)が人数や回数はそう多くないにせよ、親達の付添いなしに天端から石段を降りて平場に立ち入つていたことが推認できる。しかし、前認定の平場の構造からすると、子供達の行動は自ずと制約されるのが普通であるし、そのうえ子供達は平素親達から注意されあるいは前記立看板をみて流水の危険を理解し、少なくとも本能的な警戒心から平場先端への接近を避けるのが通常と考えられるから、仮に子供達だけで平場に立ち入つたとしても、特別な行動をとらない限り転落する危険はない。親達の付添いなしに子供達だけで平場に立ち入ること自体数少ない事柄であり、そのうえ子供達の特別な行動を予想してまで、平場に治水上弊害のある堅固な防護柵の設置を求めることは相当ではない。

第一審原告らは平場に堅固な防護柵を設置することが不可能というのであれば天端上に立入り遮断の措置を講ずべき旨主張する。しかし、<証拠>によれば、堤防の天端や法面は洪水の場合水防活動の場として重要な役割を果たすものであり、天端に右の活動の支障となる工作物を設けることはできないことが認められ、したがつて第一審原告らの右主張は採用できない。

以上の次第であるから、本件堤防は、河川施設として通常有すべき安全性を欠いていたものではなく、本件事故は第一審被告の予想を越えた知秋の行動によつて発生したものであるから、第一審被告には右堤防の設置、管理につき瑕疵があつたということはできない。

三よつて、第一審原告らの第一審被告に対する国家賠償法に基づく本件請求はその余の点について判断するまでもなく失当として棄却すべきものであるところ、これとその趣旨を異にする原判決は不当であるから、第一審被告の控訴に基づき原判決中第一審被告敗訴部分を取り消し、なお、第一審原告らの控訴は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九五条、八九条、九三条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西山俊彦 裁判官武藤冬士己 裁判官藤井正雄は転官につき署名捺印することができない。裁判長裁判官西山俊彦)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例